The Documentary "DEV LARGE"

By 高木“JET”晋一郎 / August 25, 2016

スペースシャワーTVにて放送され、大反響を呼んだ「『The Documentary "DEV LARGE"』~BUDDHA BRAND編~」。その特別上映会がレッドブル・スタジオ東京ホールで行われた。

​会場は抽選によって選ばれた50人の熱心なヒップホップ・リスナー、Buddha Brand、Dev Largeファンが集い、その足跡を映像を通して確かめた。そこからは実質的な活動期間は10年に満たず(日本での活動は更に短い)、アルバム・リリースは「病める無限のブッダの世界 ~BEST OF THE BEST(金字塔)~」一枚きりなのにも関わらず、ヒップホップを語る上では決して欠かすことの出来ないグループであり、未だにリスナーに大きな影響を与え続けるBUDDAHA BRANDと、その中心メンバーであり、没後一年を経た現在でもその作品の「切れ味」は変わる事の無いD.Lが、いかに大きな存在であったかを感じさせらた。

改めてこのグループについて解説すると、Buddha BrandはDev Large(D.L)/Nipps/CQ/DJ MASTERKEYによって結成されたヒップホップ・ユニット。全員とも出身は日本だが、NYに様々な事情で身を置いており、80年代後半に全員が彼の地で出会うこととなる。

当時、現地のヒップホップを目の当たりにしていた彼らは、前身グループとなる「うわさのチャンネル」を89年に結成し、幾度かの改名を経てBuddha Brandと改名。93年5月には、NYヒップホップの登竜門イヴェント「Lyricist Lounge」で初のステージを踏み(同日に出演してたのはThe Notorious B.I.G.など)活動の幅を広げていく。

そしてグループとして制作した“ILLSON”“FUNKYMETHODIST”を収録したデモ・テープが、ECDの耳に留まり、日本の関係者に配られ、その注目は日本のシーンにも広がって行く。

そして95年に日本に帰国し、同年12月にアナログ「人間発電所」、翌年にはcutting edge(avex系列)より同名CDシングルをリリース。そのハイクオリティなサウンド・プロダクションと、英語と日本語の両方を駆使した独特な言語感覚とラップ・スキル、キャラの立った「病んでる」メンバーの存在感は、まさに「黒船」レベルな衝撃を日本語ラップ・シーンに与え、一躍グループをスターダムに押し上げていく。

「『The Documentary "DEV LARGE"』~BUDDHA BRAND編」では、上記の過程をNipps/CQ/DJ MASTERKEYがNYを巡りながら語っていく。その他にも宇多丸(RHYMESTER)やECD、クボタタケシ、荏開津広、本根誠が90年代初頭の日本語ラップの状況を描き、NYのブッダと、日本語ラップの状況が平行して描かれ、それがブッダの「来日」で収斂していく様が描かれていく。

96年に行われた、当時のアンダーグラウンド・ヒップホップ勢が集結したイヴェント「さんピンCAMP」では、ブッダはトップ・バッター(SHAKKAZOMBIEとのユニット:大神として)とオオトリを務めるなど、その期待度は最高潮に達していく。
しかし同時に意識の差や置かれた状況など様々な要因によってメンバー間に齟齬が生まれていき、NIPPSの脱退など、グループの動きは停滞していく。

映像でもイヴェント「鬼だまり」でのDEV LARGEとNIPPSによるステージ上での衝突シーンや、ブッダが崩壊していく時期にメンバーが抱えていた感情、Dev Largeに対しての3人の思いが赤裸々に描かれていく。そしてファースト・アルバムであり、現在において最後のアルバムである「病める無限のブッダの世界 ~BEST OF THE BEST(金字塔)~」のリリースで、映像は幕を閉じた。

会場では「『The Documentary "DEV LARGE"』~BUDDHA BRAND編~」の公開後に、スピンオフとして制作された『The Documentary “NIPPS”』が特別上映。幼少からNYで過ごしたため日本語がうまく話せず、小学校時代に日本に一時戻った際、公立の小学校に通えなかったことや、NY在住時は日本人の友達が欲しかったことなど、NIPPSの知られざるセルフ・ヒストリーが、彼がNY時代を過ごしたクイーンズにおいて語られた。

そして上映後にはNIPPSとライターの荏開津広氏が登場し、トークショーが行われた。

そこで行われたトークを抜粋すると(カッコ内はすべてNIPPSの発言)

「DEV LARGEの事はMASTERKEYに紹介された、同じ駅を使ってたのに会ったことが無かった」

「Kool DJ Red Alert、DJ Chuck Chillout、Marley Marl……ラジオばっかり聴いてて、あまりクラブには行かなかった。そこに行かなくてもモテてたから(笑)。Dev Largeも家で音楽聴いてる方が多かった気がする」

「最初はDev Largeと一緒にトラックを作ろうと思ったんだけど、1人で作るほうが早いからDev Largeにまかせて、俺とCQは作詞とラップに専念した」

「avexと契約したのは、会社が金を持ってるのが分かってたから。周りのラッパーはインディでいることが美徳って感じだったけど、PUFF DADDY(当時)みたいにお金をかける事の大事さもDev Largeは分かってたから大手と契約した」

「(歌詞に関しては)メンバーは「考え方」が似てたと思う。何かをコピるんじゃなくて、影響を無視したスタイルで作品を作って行くことで、「自分たちが格好良ければいい」っていう部分が固まっていったと思う。だから(自分たちのリリックに)英語が多いとも思ってなかったし、逆にそれは言われて気がついた。それで、英語を減らせっていう宿題の元に作ったのが“ブッダの休日”だった」

「大神の“大怪我”っていうシャウトは、50回ぐらい録らされて最終的に「最初のテイクがいいね」って(笑)。(そういうRECになったのは)Dev Largeは俺の事が憎たらしかったんじゃないの?(笑)でもその間には誰も入れなかった。俺とDev Largeの間には誰も入れないから」

「(Dev Largeの好きな部分はという質問に対して)大好きな部分しかないから、嫌いなところを言ったほうが早いかな。セルフィッシュ(わがまま)な部分もあるけど……そこも好きだな。ブッダの曲だと“魔物道 (Krush Groove 2) ”、“Illson”が好きかな、俺は参加してないけど(笑)。ブッダで嫌いな曲は一曲もない」

など、興味深い発言が多く飛び出し、その縁の深さを改めて感じさせられた。

​この後にはレーベル「EL DORADO」の運営やプロデューサー・ワーク、DJ活動、コンピレーション「HARD TO THE CORE」の制作など、Dev LargeがD.Lと改名し、ソロを中心に新たな展開を見せて以降のドキュメントも制作中との事で、その内容に期待させられる。